サンフランソワの襲撃
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サンフランソワの襲撃(サンフランソワのしゅうげき、英St. Francis Raid)は、フレンチ・インディアン戦争中に起きた襲撃である。1759年10月4日、ロバート・ロジャーズ率いるレンジャーズが、当時のヌーベルフランスの、セントローレンス川南部にあるアベナキ族の集落サンフランソワ(サンフランソワデュラク)を中心に襲撃を行った。その日の朝早く、ロジャーズは140人(または142人)の兵を率いて集落に入り、伝えられるところによると、主に女、子供、老人を主に捕え、住人の寝込みを襲って虐殺し、逃げようとした者を射殺して、その後集落を焼いた。ロジャーズの報告では、300人ものアベナキ族を殺したとなっていたが、フランスの報告のほうでは、女子供を中心に30人すれすれだったとなっている。ロジャーズの兵も1人は戦死し、7人(または6人)が負傷した。
サンフランソワの襲撃 | |||||||
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フレンチ・インディアン戦争中 | |||||||
ロバート・ロジャーズのものとされる肖像画 | |||||||
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衝突した勢力 | |||||||
フランス王国 アベナキ族 | グレートブリテン王国 | ||||||
指揮官 | |||||||
不明(アベナキ族集落) ジャン=ダニエル・デュマ(追跡隊) | ロバート・ロジャーズ | ||||||
戦力 | |||||||
主に一般人 | 142人 | ||||||
被害者数 | |||||||
30人戦死 5人捕囚(諸説あり) |
攻撃時の戦死1人、 負傷7人 撤退時の戦死40人、 捕囚10人(諸説あり) | ||||||
ロジャーズと兵たちは、現在のニューヨーク州にあるクラウンポイント砦から、アベナキ族の集落につくまでにかなりの困難を乗り越えてサンフランソワに到着したが、その後にもさらなる困難が待ち受けていた。フランス軍と、復讐心に燃えるインディアンに追跡され、食糧が不足したロジャーズたちは、コネチカット川の峡谷を経由してクラウンポイントに戻った。しかし、彼らに必要な貯蔵食糧を見つけることができず、兵たちは空腹のあまり、人肉を食べたと言われる。また、襲撃に参加した兵のうちの3分の1は戻ってこなかった。
イギリス植民地側のこの襲撃に関する報告では、特に弁解じみたものはなかった。サンフランソワのインディアンたちは、イギリス植民地を、南はマサチューセッツに至るまで襲っており、ロジャーズによれば、集落の中心となる建物には、彼らが剥いだイギリス人の頭皮がたくさん飾られていた。