コペンハーゲン大火 (1795年)
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1795年のコペンハーゲン大火(1795ねんのコペンハーゲンたいか)は、1795年6月5日金曜日午後3時頃、ガメルホルム(英語版)のコンゲンス・ニュートー広場南東に位置する古い海軍基地の近隣にある、海軍の石炭や材木を貯蔵する火薬庫(いわゆる“Dellehave”)で発生した。従業員は既に帰宅していたため、消火活動が開始されるまでに相当な時間が経過し、盗難への恐れから消火栓も取り外されていた。また、ホルメン(英語版)の人々は、軍事エリアのため軍が対処するはずであると信じたからか、市民消防団を妨害した[1]。
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長期間降水がなく、乾燥した木材に加えてロープやタールなどの備蓄もあり、火は急速に拡大した。また、風が東南東から特に激しく吹いていたため、無数の燃えさしが風に乗って市街地まで運ばれた。さらに、陽射しも強く、小さな火は燃え付くまで発見するのが難しかった。これが、火がガメルホルムからホルメンス・カナル(英語版)沿いの本火薬庫、ホルメンス・カナルを越えた聖ニコラス教会周辺の地区、さらにはガメル・ストラン(英語版)沿いからニュートー(英語版)やガメルトー(英語版)周辺の地域にまで広がった要因となった。