グレンヴィル内閣
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グレンヴィル内閣(グレンヴィルないかく、英語: Grenville ministry)は、グレートブリテン王国の内閣。ジョージ・グレンヴィルを首相とし、1763年4月16日から1765年7月13日まで続いた。先代首相ビュート伯爵がパリ条約を締結したが、イギリスが七年戦争で多くの勝利を収めていた(英語版)ため、世論はパリ条約がフランス王国に寛容すぎたとしてビュート伯爵を激しく批判した。これによりビュート伯爵が辞任してグレンヴィルが後任となったが、グレンヴィル内閣の顔ぶれはビュート内閣のそれとほとんど同じだった。寵臣ビュート伯爵を追い落として成立した内閣だったため、国王ジョージ3世はグレンヴィル内閣を毛嫌いした[1]。
グレンヴィル内閣が続いた2年間、13植民地の本国への不満が積もり、やがてノース内閣の在任期間中の1775年にアメリカ独立戦争が勃発した。内政でもジョン・ウィルクスの誹謗文書などの対処に追われた。
ジョージ3世は相変わらずグレンヴィルを嫌い、やがて彼を罷免して第2代ロッキンガム侯爵を首相に据えたが、結局ロッキンガム侯爵もジョージ3世に嫌われた。