クリコヴォの戦い
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クリコヴォの戦い(ロシア語:Куликовская битваまたはБитва на Куликовом поле)は、1380年、モスクワ大公ドミートリー1世(ドミートリー・ドンスコイ)の率いるルーシ諸侯連合軍が、ジョチ・ウルスの事実上の支配者ママイの軍とそれに同盟したリトアニア大公国・ルーシ諸侯などの連合軍を破った戦い[注釈 1]。
概要 クリコヴォの戦い, 交戦勢力 ...
クリコヴォの戦い | |
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「クリコヴォの戦い」 フランスの画家アドルフ・イヴォンによる絵画(1850年) | |
戦争:クリコヴォの戦い | |
年月日:1380年9月 | |
場所:ドン川付近のクリコヴォ平原 | |
結果:モスクワ大公国の勝利 | |
交戦勢力 | |
モスクワ大公国 ベロオーゼロ公国 ロストフ公国 ヤロスラヴリ公国 スーズダリおよびニジニ・ノヴゴロド公国 ムーロム公国 |
ジョチ・ウルス リトアニア大公国 ジェノヴァ共和国 |
指導者・指揮官 | |
ドミートリー・ドンスコイ | ママイ |
戦力 | |
50,000-60,000 [1] およそ30,000[2] |
100,000[3] – 150,000[4] およそ30,000[2] |
損害 | |
死者20,000以上 | ほぼ全滅 |
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なお、アレクサンドル・ソルジェニーツィンの小説『胴巻のザハール』では地名が「クリーコヴォ」なのか「クリコーヴォ」なのかという問題が出されているが、一般には「クリコーヴォ」が採られている。