ギヨーム・ド・ジェローヌ
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ギヨーム・ド・ジェローヌ(Guillaume de Gellone, 755年頃 - 812年/814年5月28日)またはギヨーム・ドランジュ(Guillaume d'Orange)[1]は、第2代トゥールーズ公(在位:790年 - 811年)。ジェローヌ大修道院(fr)を創設し、1066年に教皇アレクサンデル2世により聖人とされた[2]。
概要 聖ギヨーム・ド・ジェローヌ, 生誕 ...
聖ギヨーム・ド・ジェローヌ | |
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生誕 |
755年頃 フランス北部 |
死没 |
812年5月28日または814年5月28日 ロデーヴ近郊のジェローヌ(現サン=ギレム=ル=デセール)? |
崇敬する教派 |
カトリック教会 正教会 |
列聖日 | 1066年 |
列聖決定者 | アレクサンデル2世 |
主要聖地 | フランス、ジェローヌのサン=ギレム=ル=デセール大修道院 |
記念日 | 5月28日 |
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10世紀または11世紀に[3]、ラテン語の聖人伝『Vita sancti Willelmi』が言い伝えをもとにつくられ、12世紀までにはギヨームに関する伝説が出来上がった。ギヨームは武勲詩において英雄として描かれ、武勲詩の初期の作品で1140年頃成立の『Chanson de Guillaume』に登場する。ギヨームは武勲詩においてはその強さから「フィエラブラ」(武を誇る者)[4]、あるいは巨人との戦いで受けた傷から「marquis au court nez」(低い鼻の侯爵)と呼ばれている。