ガスパール・モンジュ
ウィキペディア フリーな encyclopedia
ガスパール・モンジュ (Gaspard Monge、1746年5月9日[1] - 1818年7月28日[2])は、フランスの数学者・科学者・工学者・貴族。エコール・ポリテクニークの創設者。
概要 人物情報, 生誕 ...
ペリューズ伯爵ガスパール・モンジュ | |
人物情報 | |
---|---|
生誕 |
(1746-05-09) 1746年5月9日 ブルゴーニュ、コート=ドール県ボーヌ |
死没 |
(1818-07-28) 1818年7月28日(72歳没) パリ |
国籍 | フランス |
出身校 | メジエール工兵学校 |
両親 | ジャック・モンジュ |
学問 | |
時代 | ナポレオン1世 |
研究分野 | 図法幾何学 |
主な指導学生 |
ラザール・カルノー ジョゼフ・フーリエ ジャン=ヴィクトル・ポンスレ シャルル・デュパン |
主な業績 |
図法幾何学の体系再編。 大砲鋳造の反射炉。 世界初二酸化硫黄の液化。 |
学会 | パリ科学アカデミー |
主な受賞歴 | レジオンドヌール勲章グラントフィシエ受章 |
署名 | |
テンプレートを表示 |
閉じる
今日知られる微分幾何学を開発し、曲面方程式や曲線の微分方程式から3次元空間への曲面曲率線の概念を導入して幾何学的形状を解析するなど、微積分方面による曲面の研究で知られる。
従来から製図で使用されていた画法幾何(図法幾何とも言う。)を、ジラール・デザルグの定理やパスカルの定理に基づく遠近法を研究して三角法や射影幾何学、図学という学問・学術にする体系再編に貢献し、この画法幾何学をベースにした解析手法は応用力学にまで取り入れられて構造解析の、また透視画法や投影図法が現在も製図法の骨子になっている。当時の度量衡を確立したほか、モンジュ・アンペール方程式(英語版)や群論や最適輸送問題などの研究などでも知られる。
軍事技術関連では、大砲鋳造や火薬製造法などを開発している。フランス革命当時、海軍大臣、元老院議長を務めていた。パリ東マルヌ=ラ=ヴァレ大学(フランス語版、英語版)にガスパール・モンジュ学院(英語版)、また切手の肖像画のほか、フレンチライラックやバラにも名がつけられた花卉がある。