カンバーランド道路
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カンバーランド道路(カンバーランドどうろ、英:Cumberland Road、またはナショナル道路、英:National Road)は、アメリカ合衆国連邦政府によって建設された初期主要改良道路の1つである。建設は1811年にメリーランド州のポトマック川沿いの街カンバーランドで始まった[1]。その後アレゲーニー山脈とペンシルベニア州南西部を越え、1818年にバージニア州(今日ではウェストバージニア州)のオハイオ川沿いホイーリングに達した。計画ではミズーリ州セントルイスを抜けてミシシッピ川のジェファーソンシティまで達する予定だったが、予算が尽きて1839年にイリノイ州バンダリアで工事が止まった。
カンバーランド道路とボルティモアを繋ぐ一連の有料道路が1824年に完成し、カンバーランド道路の東部延伸部と呼ばれるものを形成した。1835年、ホイーリングより東側の道路は有料道路として運営を各州に任されることになった。この道路はナショナル・パイクと呼ばれるようになり、ボルティモアまでの延伸部にもこの名前が当てられた。
約620マイル (1000 km) のこの道路はポトマック川とオハイオ川を繋ぎ、数多い開拓者達にとって西部への入り口となった。新しいマカダム舗装を使ったことではアメリカ合衆国で最初の道路だった。今日、その経路の大半はアメリカ国道40号線となっている。ボルティモアへの東部延伸部とセントルイスへの西部延伸部を含め、2002年にアメリカ合衆国運輸長官ノーマン・ミネタによって、この道路全体が「歴史ある国道」すなわちオールアメリカンロードに指定された[2]。