エドワード・ウォートリー・モンタギュー (外交官)
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エドワード・ウォートリー・モンタギュー(英語: Edward Wortley Montagu、1678年2月8日 – 1761年1月22日)は、イギリスの政治家、外交官。1716年から1718年まで在オスマン帝国イギリス大使(英語版)を務め、庶民院議員を通算で54年間務めた。首相ロバート・ウォルポールには一貫して反対の立場だったが、ウォルポール内閣が崩壊した後は老齢により政界で活躍できなかった。妻は作家メアリー・ウォートリー・モンタギュー(旧姓ピアポント)であり、メアリーは1739年から1761年まで大陸ヨーロッパで過ごしたが、2人はその間も文通相手であり続けた。同名の息子エドワードの浪費癖に悩み、1755年にしたためた遺言状で135万ポンドに上る遺産のほとんどを娘メアリーに譲った。