ウィリアム・レンキスト
アメリカ合衆国の法律家 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
ウィリアム・ハブス・レンキスト(William Hubbs Rehnquist、1924年10月1日 - 2005年9月3日)は、アメリカ合衆国の法律家。アメリカ合衆国最高裁判所(連邦最高裁)の陪席裁判官(最高裁判事)、後に首席裁判官(最高裁長官)を務めた。連邦政府の権限拡大やプライバシーの権利、アファーマティブ・アクションなどについて批判的な判決を執筆しており、保守派判事として知られている。
ウィリアム・レンキスト | |
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William Rehnquist | |
第16代アメリカ合衆国最高裁判所長官 | |
任期 1986年9月26日 – 2005年9月3日 | |
ノミネート者 | ロナルド・レーガン |
前任者 | ウォーレン・E・バーガー(英語版) |
後任者 | ジョン・ロバーツ |
アメリカ合衆国連邦最高裁判所陪席判事 | |
任期 1972年1月7日 – 1986年9月26日 | |
ノミネート者 | リチャード・ニクソン |
前任者 | ジョン・マーシャル・ハーラン2世(英語版) |
後任者 | アントニン・スカリア |
法律顧問局(英語版)司法次官補(英語版) | |
任期 1969年1月29日 – 1971年12月 | |
大統領 | リチャード・ニクソン |
前任者 | フランク・ヴォゼンクラフト |
後任者 | ラルフ・E・エリクソン(英語版) |
個人情報 | |
生誕 | William Donald Rehnquist (1924-10-01) 1924年10月1日 アメリカ合衆国 ウィスコンシン州ミルウォーキー |
死没 | (2005-09-03) 2005年9月3日(80歳没) アメリカ合衆国 バージニア州アーリントン郡 |
墓地 | アーリントン国立墓地 |
政党 | 共和党 |
配偶者 | ナン・コーネル (m. 1953; d. 1991) |
子供 | 3人 |
教育 | スタンフォード大学 (BA、MA(英語版)、LLB) ハーバード大学 (MA(英語版)) |
署名 | |
兵役経験 | |
所属国 | アメリカ合衆国 |
所属組織 | アメリカ陸軍空軍 |
軍歴 | 1943年–1946年 |
最終階級 | 軍曹 |
下級裁判所において裁判官としての経歴が一切ない最高裁判事であり(合衆国憲法には最高裁判事の任用資格が書かれていないため、裁判官としての経歴がまったくない者でも大統領が指名し上院が承認すれば最高裁判事になることが出来る。歴史的にはそうした例は少なくないが、近年は連邦控訴裁判事などの経験が重視される傾向にある)、最高裁判事から事実上昇格した最高裁長官でもある(アメリカでは、最高裁判事と最高裁長官は別個に任命されることになっており、長官が死去または引退した場合には外部から新たな長官が任命されるのが普通で、現職の判事が長官に昇格した例は少ない)。長官在任19年という歴代第4位の記録を打ち立て、レンキスト・コートと呼ばれる一時代を築き上げた。
レンキスト・コートは本人の保守色もあり「司法の政治化」、そして最高裁のみならずアメリカを保守化したという見方がある一方[1]、優れた手腕と人柄により、ウォーレン長官時代(1953年 - 1969年)にやや行き過ぎたリベラルな判決を修正し、国民の多数の感情と歩調を合わせた判断を下したという評価もある[2]。また、多分に偶然とはいえ1994年から2004年までは9人の判事の交代が一切なく、このようなことは歴史的に見て比較的異例であったが、結果的に最高裁判断の安定性に繋がったとも評されている[3]。