ウィリアム・シャーリー
ウィキペディア フリーな encyclopedia
ウィリアム・シャーリー(William Shirley、1694年12月2日-1771年3月24日)は、マサチューセッツ湾直轄植民地の総督を務めた、イギリス領アメリカ植民地の行政官である。また、1760年代にはバハマの総督にも就任した。ジョージ王戦争時にニューイングランドの民兵隊を召集して、軍事遠征計画の経験を得た。1745年のルイブールの戦いは、彼の名を一躍高からしめた。また、フレンチ・インディアン戦争でも軍事面で主要な役割を果たし、短期間ながら北アメリカ植民地部隊の総指揮官の任務に就いた。
概要 ウィリアム・シャーリーWilliam Shirley, 生年月日 ...
ウィリアム・シャーリー William Shirley | |
---|---|
ウィリアム・シャーリー | |
生年月日 | 1694年12月2日 |
出生地 | イングランド、サセックス |
没年月日 | 1771年3月24日 |
死没地 | マサチューセッツ、ロクスバリ |
出身校 | ペンブルック・カレッジ |
前職 | 弁護士 |
配偶者 | フランシス・ベイカー |
サイン | |
在任期間 | 1741年8月14日 - 1749年9月11日 |
在任期間 | 1753年8月7日 - 1756年9月25日 |
テンプレートを表示 |
閉じる
シャーリーはマサチューセッツを取り巻くアメリカ植民地と本国の間の困難な問題を巧みにさばき、マサチューセッツの総督としては最長の任期を務めた。サー・ウィリアム・ジョンソンとの軍事関係のあつれきや、彼の後任のトマス・パウエルの政治的策略により、最終的に解任され、晩年はバハマの総督として赴任し、その後マサチューセッツに戻って死去した。