ウィットヌーン
オーストラリアにかつて存在した町(ゴーストタウン) / ウィキペディア フリーな encyclopedia
ウィットヌーン(ウィッテヌーム、ウィトヌーム、英語: Wittenoom)は、オーストラリア・西オーストラリア州ピルバラ地域アシュバートン(英語版)にかつて存在した町。同州の州都・パースの北北東1,420km(880 mi)に位置し、ハマーズリー山地(英語版)の近傍にある[3][4]。アスベストによって汚染された場所として知られており、町域の内50,000ヘクタール(120,000エーカー)が汚染され、「南半球で最も広範囲が汚染された場所」とも目されている[5][6]。
ウィットヌーン Wittenoom | |
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ウィットヌーン跡地の入口近くに建てられた政府による注意看板 | |
位置 | |
オーストラリアにおけるウィットヌーンの位置 | |
座標 : 南緯22度14分23秒 東経118度20分05秒 | |
歴史 | |
設立 | 1950年5月2日[1] |
抹消 | 2007年6月20日[2] |
旧名 | ウィットヌーン・ゴージ (Wittenoom Gorge) |
行政 | |
国 | オーストラリア |
州 | 西オーストラリア州 |
地域 | ピルバラ地域 |
シャイア | アシュバートン(英語版) |
町 | ウィットヌーン |
地理 | |
面積 | |
町域 | 353.1 km2 (136.3 mi2) |
人口 | |
人口 | (2023年現在) |
町域 | 0人 |
人口密度 | 0人/km2(0人/mi2) |
その他 | |
等時帯 | オーストラリア西部標準時 (UTC+8) |
ウィットヌーン周辺の地域は、1930年代にリーベック閃石(青アスベスト)の採掘が始まるまでは牧畜が主に行われている典型的な田舎であった。リーベック閃石の採掘は、1939年にヤンパイア峡谷(Yampire Gorge)で大規模な採掘が開始されたが、まもなくウィットヌーン峡谷(Wittenoom Gorge)で採掘が行われるようになり、ヤンパイア峡谷の大規模採掘は1943年に終了した。1947年、企業城下町が建設され、1950年代にはピルバラ地域で最も大きな町にまで成長した。最盛期は1960年代前半で、1961年6月30日に実施されたオーストラリアの国勢調査では、人口881人[注釈 1][7]。1950年代から1960年代初めごろまでの間、ウィットヌーンはオーストラリアで唯一のリーベック閃石産地であった。しかし、リーベック閃石の枯渇に加えて、この地域のアスベスト採掘による健康問題が顕在化してきたことで、1966年に鉱山は閉鎖された。
その後、ウィットヌーンの町の跡地は、行政の手が入ることもなく放置されていた。しかし2006年12月、西オーストラリア州政府(英語版)は、ウィットヌーンを公式に抹消する予定であることを発表し、翌2007年6月20日に、当時の西オーストラリア州首相、ジョン・フォード(英語版)の名のもとに、公式に廃止する地方政府公報が出された。ウィットヌーンの名前は公式な地図から抹消され、ウィットヌーンの名前が道路標識から削除された。これらの手続きにより、アシュバートン(英語版)当局は、アスベストに汚染されたこの地域に向かう道路を閉鎖できるようになった。
ウィットヌーン運営委員会は、2013年4月に会合を開き、町の閉鎖を最終決定した上で、この地域への立ち入りを制限し、この汚染の危険性への意識を高めることとした。これをどのようにして達成するのか、詳細については今後決定されることとなったが、この地域にいまだに居住している人々の移住、自由保有地(英語版)から王室領への変更、家屋の撤去、そして道路の閉鎖や付け替えがおそらく必要となると考えられた。2015年の時点で、まだ6人の住人が居住していた。その後、2017年には、4人に減少し[8]、2018年に3人、2021年に2人となった[9]。
2022年9月に、遂に最後の居住者が退去したことでウィットヌーンは無住の地となり、2023年5月から西オーストラリア州政府によって、残存する建築物の撤去工事が始まった[10]。