アリス・ギイ
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アリス・ギイ(仏: Alice Guy)またはアリス・ギイ=ブラシェ(仏: Alice Guy-Blaché、1873年7月1日 - 1968年3月24日)は、フランスの映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。姓はギィまたはギィ=ブラシェとも表記される。映画史上初の女性映画監督であり、映画草創期の1896年から1920年の間に、フランスとアメリカ合衆国で1000本以上の作品を手がけた[1][2]。物語映画を最初に作った映画監督のひとりでもあり、初期のトーキーやカラー映画を手がけ、特殊効果や現代的な映画演技法を採り入れるなど、映画的技法でさまざまな先駆的な試みを行い、その業績でリュミエール兄弟やジョルジュ・メリエスと並ぶ映画のパイオニアと認められている[2][3][4]。
アリス・ギイ(アリス・ギイ=ブラシェ) Alice Guy (Alice Guy-Blaché) | |
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アリス・ギイ(1913年) | |
本名 | Alice Ida Antoinette Guy |
生年月日 | (1873-07-01) 1873年7月1日 |
没年月日 | (1968-03-24) 1968年3月24日(94歳没) |
出生地 | フランス ヴァル=ド=マルヌ県サン=マンデ |
死没地 | アメリカ合衆国 ニュージャージー州 |
職業 | 映画監督、脚本家、映画プロデューサー |
活動期間 | 1896年 - 1920年 |
配偶者 | ハーバート・ブラシェ(英語版)(1907年 - 1922年) |
主な作品 | |
『キャベツ畑の妖精(英語版)』(1896年または1900年) 『キリストの生涯(英語版)』(1906年) 『フェミニズムの結果(英語版)』(1906年) 『落ち葉(英語版)』(1912年) 『愚者とお金(英語版)』(1912年) | |
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アリスは当初、ゴーモン社社長のレオン・ゴーモンの秘書をしていたが、同社が映画製作を始めるとその製作責任者となり、『キャベツ畑の妖精』(1896年または1900年)、『キリストの生涯』(1906年)、『フェミニズムの結果』(1906年)など幅広いジャンルの作品を監督した。1907年にイギリス人のハーバート・ブラシェ(英語版)と結婚した後に渡米し、1910年に自身の映画会社ソラックス社(英語版)を設立した。同社は1912年にニュージャージー州フォートリーにスタジオを構え、その地はハリウッド台頭以前のアメリカ映画産業の中心地となった。アメリカ時代にはキャスト全員がアフリカ系アメリカ人の『愚者とお金』(1912年)など意欲的な作品も手がけている。1922年にハーバートと離婚してからは映画製作を行うことはなく、亡くなるまで娘と生活した。長年にわたりアリスの作品や業績は映画史から忘れられていたが、1970年代以降に映画研究者たちから正当な評価を受けるようになった。