アメリカ合衆国共和党の歴史
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アメリカ合衆国共和党の歴史(アメリカがっしゅうこくきょうわとうのれきし)では、アメリカ合衆国の共和党の歴史について述べる。共和党は最大のライバル民主党に次ぐ歴史を持つ政党である。1854年、準州に奴隷制が拡大する危険をはらんだカンザス・ネブラスカ法を廃止し、経済の近代化をより強力に推進することを目的に結党された。南部ではほとんど存在しないに等しかったが、北部ではホイッグ党員と自由土地党員を吸収し、1858年までに北部のほぼ全ての州で多数派を形成した。
1860年、共和党からエイブラハム・リンカーンが大統領に選出され、南北戦争において合衆国を勝利に導き、奴隷制度の廃止に成功すると、共和党の優位は盤石となり、世界恐慌直後の1932年まで続いた。共和党の支持基盤は、北部の白人プロテスタント、企業家、専門職、工場労働者、農家、そしてアフリカ系アメリカ人であった。主要な政策としては、企業優遇、銀行支持、金本位制維持、鉄道建設、産業とその労働者を守るための関税設置等を主張した。20世紀転換期にはウィリアム・マッキンリー大統領とセオドア・ルーズベルト大統領のもと、膨張主義的外交政策を推進した。
1929年から1940年の世界恐慌により、共和党と民主党の地位は逆転した。民主党のフランクリン・D・ルーズベルトはニューディール連合を形成して経済規制や社会福祉事業を推進し、民主党の優位は1960年代中盤まで続いた。この間、共和党は保守化を進めて民主党のリベラル政策に反対し、民主党保守派と保守連合(英語版)を形成して多くの法案成立を阻止した。また1950年代には第二次世界大戦の英雄ドワイト・アイゼンハワーを大統領に擁立して政権の座についた。
1950年代から民主党が公民権運動の推進に傾くと、南部を中心に、それまで強固に民主党を支持していた保守層が共和党支持へ流れ、逆にアフリカ系アメリカ人は民主党へ流れた。1964年公民権法が決定打となってニューディール連合は崩壊し、ベトナム戦争の泥沼化もあって、共和党優位の時代が戻った。特に1980年代は圧倒的な人気を誇ったロナルド・レーガン大統領のもと、財政支出削減・規制緩和・減税(レーガノミクス)や、強烈な反ソビエト政策を推進した。
1990年代以降は民主党と共和党の勢力が拮抗し、現在に至っている。この間、共和党からはジョージ・W・ブッシュ(2000年および2004年)が大統領に選出された。経済の低迷を背景に、2010年の議会選挙では下院で多数派を占め、オバマ政権と鋭く対峙していた。
2016年の議会選挙では共和党が上院、下院とも多数派になり、同時に行われた大統領選挙では、共和党のドナルド・トランプが選出され、翌2017年1月20日に第45代アメリカ合衆国大統領に就任し、共和党は8年ぶりに政権復帰をした。