アチェ戦争
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アチェ戦争(インドネシア語: Perang Aceh)は、1873年から1904年にかけて、スマトラ島北部のアチェ王国(アチェ・ダルサラーム王国)とオランダ王国の間で行われた戦争。インドネシアではオランダ戦争、異教徒戦争とも呼ばれる。1873年初頭にアチェとアメリカの代表がシンガポールで会談したことを発端とし[8]、アチェ最後のスルターンであるムハンマド・ダウド・シャーが1903年に降伏して翌1904年にアチェがオランダに併合されたことで戦争は終結したとみなされているが、その後も1914年まで大規模な抵抗が続き[1]、散発的な反乱は第二次世界大戦期まで続いた。
概要 アチェ戦争, 時 ...
アチェ戦争 | |||||||||
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サマランガの戦い (1878年) | |||||||||
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衝突した勢力 | |||||||||
アチェ王国 アチェ宗教指導者(ウラマー)[1][2] | |||||||||
指揮官 | |||||||||
ヨハン・ハーマン・ルドルフ・ケーラー † |
アラーウッディーン・マフムード・シャー †(1873年-1874年) [3] | ||||||||
戦力 | |||||||||
3,000人 (第一次遠征)[3] 13,000人 (第二次遠征)[3] オランダ兵12,000人 (1903年)[2] インドネシア兵23,000人[2] | 1万人-10万人[7] | ||||||||
被害者数 | |||||||||
戦死 37,000人(コレラによる病死を含む)[2] |
戦死 6万人-7万人(コレラによる病死を含む)[2] 難民 1万人[2] |
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