アウンサンスーチー
ミャンマーの民主化指導者 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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アウンサンスーチー(ビルマ語: အောင်ဆန်းစုကြည်(画像による標示:)、ラテン文字表記: Aung San Suu Kyi、ALA-LC翻字法: ʼOṅʻ Chanʻ" Cu Kraññʻ、IPA: /àʊN sʰáN sṵ tɕì/。1945年6月19日 - )は、ミャンマーにおける非暴力民主化運動の元指導者、元映画監督。元国家顧問。現在はミャンマー国軍のクーデターによって発足した現政府に犯罪者として扱われている。国軍統制下の裁判で19件の罪で有罪判決が決定し、刑期は合計禁錮33年として法の下に刑を下された。
アウンサンスーチー အောင်ဆန်းစုကြည် Aung San Su Kyi | |
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ミャンマー連邦共和国 初代国家顧問 | |
任期 2016年4月6日 – 2021年2月1日 | |
大統領 | ティンチョー ウィンミン |
前任者 | (新設) |
後任者 | (廃止) |
ミャンマー連邦共和国 大統領府大臣・外務大臣 | |
任期 2016年3月30日 – 2021年2月1日 | |
大統領 | ティンチョー ウィンミン |
ミャンマー連邦共和国 教育大臣・電力エネルギー大臣 | |
任期 2016年3月30日 – 2016年4月6日 | |
大統領 | ティンチョー ウィンミン |
ミャンマー連邦共和国 連邦議会人民代表院議員 | |
任期 2012年5月2日 – 2016年3月31日 | |
国民民主連盟 党首 | |
就任 2011年11月18日 | |
国民民主連盟 書記長 | |
任期 1988年9月27日 – 2011年11月18日 | |
個人情報 | |
生誕 | (1945-06-19) 1945年6月19日(78歳) ビルマ国、ラングーン管区ラングーン都 |
市民権 | ミャンマー人 |
政党 | 国民民主連盟 |
宗教 | 仏教 |
署名 |
アウンサンスーチー အောင်ဆန်းစုကြည် Aung San Suu Kyi | |
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思想 | 仏教の慈悲、非暴力[3] |
活動 | ガンディーの非暴力民主化運動 |
所属 | 国民民主連盟 |
投獄 | 自宅軟禁3回 合計約14年9か月(現在は解除) |
受賞 |
・トロルフ・ラフト人権賞(1990年) ・サハロフ賞(1991年) ・ノーベル平和賞(1991年) ・議会名誉黄金勲章(2008年) ・レジオン・ドヌール勲章コマンドゥール(2012年) |
母校 |
デリー大学(政治学学位) オックスフォード大学(学士、修士) ロンドン大学SOAS(修士) |
影響を受けたもの | マハトマ・ガンディーの非暴力不服従運動 |
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2016年3月30日にティンチョーを大統領とする新政権が発足したことにともない、外相、大統領府相を兼任(当初は教育相と電力エネルギー相も兼任していた)[4]、さらに新設の国家顧問にも就任した。同国における国家元首は大統領だが、大統領を超越する存在としてアウンサンスーチーが事実上の最高指導者であった[5]。2021年ミャンマークーデターを受けて、現在は刑務所に収監中。
ビルマの独立運動を主導し、その達成を目前にして暗殺された「ビルマ建国の父」ことアウンサン将軍の娘である。敬虔なテーラワーダ仏教徒とされる[6]。使用言語はビルマ語、英語、フランス語、日本語[7]。2013年、訪仏時はフランス語で講演し、訪日時は英語で記者会見した[8][9]。
日本や、英語メディア、仏語メディア、独語メディアなどの報道では「アウンサン・スーチー」「スー・チー」などと表記されることもあるが、ミャンマー人(現在のビルマ語族の大半)は姓(名字)はなく、ミャンマー国内では通常「アウンサンスーチー」の一語で表記する(後述)。